羽根邦夫Blog

”工学博士、電磁波対策製品WAVESAFE発明者のブログ”

泥鰌鍋の歴史  その1(駒形どぜう)

 東京には「どぜう」と看板を出しているのは4軒、と食事系のユーチューバーが言っていました。この4軒、浅草の吾妻橋近くの「駒形どぜう」、国際劇場あとから合羽橋通りに向かった「飯田屋」、両国駅前の「両国どぜう桔梗屋」です。4軒目は分りません。
 さて、お味の方は好みが有りますが私は駒形です。
 なぜと言えば、駒形どぜうの先代の長兄が私の高校の科学の先生で、家にもよく遊びに行っていたからです。奥様が姉の学友で「邦夫ちゃん、邦夫ちゃん」と呼ばれていました。その上に、駒形どぜうの斜め前のお店が私のカミさんの親戚で、泥鰌と言えば駒形しかなかったからです。ちなみにその時の駒形どぜうの店主は先生の次男さんでした。
 泥鰌と言うと、無くなった親父がニタリとして「泥鰌で精を付けて吉原へ行く」なんて言ってましたが、本物は吉原の後に泥鰌と言うのが本物みたいで、親父は格好をつけていただけ、と善意に解釈をしています。
 従って、ここ50年間くらいカミさんと駒形どぜうに通って、骨付きで丸のままの泥鰌鍋を食べてきました。カミさんに言わせると、泥鰌を開いて骨を抜いた柳川なんて下戸の食べ物です。カミさんは田舎もんの私にとって、江戸と東京の作法と食事の師匠でしたが、斜め前に親戚が住んでいるいて、2代以上の積み重ねの食べ方のウンチクが蓄積しています。

 最近はガス台を使うようになってしまいましたが、4、5年前までは上の写真の様に炭火で泥鰌鍋を自分で調理していました。泥鰌鍋を美味しく食べる極意は簡単で、他人の3倍鍋を煮込むこと、です。定量的に言えば、鍋に付いてくる薬味の長ネギが入っている箱のネギが全部柔らかくなるまで、ネギと割り下をつぎ足し注ぎ足しして泥鰌を煮込み、汁にネギの甘みを足して割り下を濃縮することです。
 今の様に観光地化する前は、地元の旦那衆が酒を飲みながら、ゆっくりと談笑しながら鍋をつついていました。きっとゆっくりと待ちながら煮込んでいたのでしょう。ところが最近の駒形どぜうは昔の3倍以上の値段となり、泥鰌のくせに鰻並みの値段になってしまいました。
 しかし最近の駒形泥鰌鍋は、ネギが木箱では無くて皿に盛られて出てきて量が少なくなり、その上に鰻の値段ではもう駄目です。
 と、いう事で次回は同じ浅草で「どぜう」の看板を掲げる、別のお店をご紹介いたします。

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