民主主義だけでは平和を保証できない
あけましておめでとうございます。
昨年の11月16日の「民主主義への誤解」の 続きですが、まず、民主主義は発想は良いが衆愚政治や独裁化、革命を許します。しかしチャーチルが言う様に、これに代わる方法が無いので市民にも民主主義を守る努力が必要です。年の初めにあたり、民主主義とは何か、司法立法行政との関係、独裁や革命がどの様に起こるのかを知っておきましょう。
民主主義とは、「市民」が「多数決」で政治や生活や社会の運営方法であり、この方法での政治を「共和政治」と呼び国名が「共和国」です。一方、この民主主義の反対側が「独裁」政治と「独裁政治国家」です。両者の差は国家の運営を、市民が自由に行えるか、個人あるいはグループが独断で行うかの違いです。経済制度は、前者が市場に決めさせる資本主義で、後者の多くは、共産主義によるトップダウンの計画経済です。
民主主義政治では、市民がそれぞれの意見を政治に反映でき、国や集団の意見として一つにまとめる時は投票(選挙)で決めます。しかし、よほど小さな国で無ければこの直接民主制で国政を行うのは難しく、市民の代表者に任せるのが一般的です。しかしこの際、多数が賛成する意見に決めても、必ず少数が不満を持つので、両派の代表者(議員)が議会と呼ぶ集会で議論をして双方の意見の妥協点を見出す方法が、議会制民主主義です。
議会で得た結果は後々のために文書化し、この妥協結果を “決まり”として成文化して法律と呼びます。この行為が立法であり、市民は法律に従うことが義務となります。また、法律に従って市民にサービスを行うのが官僚で、この行為が行政です。そして、議会と行政のもう一つの大事な仕事が財務で、国家予算の支出入を議会が決め、行政は税金を集め予め議会が定めた用途に使います。
議員を選ぶにあたって、議員は自立、他立の候補の中から各自の立法と予算などの方針つまり政策を公開し、賛同した市民が彼を議員として選びます。市民によって望む政策が異なるので、異なる意見の議員も選ばれます。これ等の議員の人数は市民の数に比例し、多い方が与党と呼ばれます。
ここで民主主義の最初の問題が起こります。議員として得た権力を使って自分に利益を誘導することを目的として、市民の希望に迎合する者が現れます。この議員の行為をポピュリズムと呼び、選ばれた議員は自分や市民の私欲に沿う悪法を造ることになります。これを衆愚政治と呼びます。この衆愚政治は、後で述べますが、市民が政治的に未熟な時に起こるもので、独裁や戦争を引き起こす元凶となります
この衆愚政治を防ぐには、市民が成熟してポピュリズム議員に選挙で投票しないことと、議会で反対派の議員が悪法の誤りや欠点を指摘し、論破して悪法の修正あるいは否決することです。さらに、修正や否決ができなくても、その悪法に異論があれば、それが法律に反しているか否かを、第三者に審査を託することが出来ます。これが司法制度に基づく裁判です。
しかし日本の場合、裁判は市民の間の争いごとを裁くのが大半で、法律についての裁判は殆どありません。これは法律の完成度が高く、国政を担う与党は法律に従って政策などの提案を行えば、野党の反対には法的な根拠が無いため、裁判に訴えることはできません。従って、この法律が悪法であれば事態は悪化することになります。
さて、現在の日本国総理大臣は、石破氏が国民に人気が有るからと思い込んだ自民党議員が、勝手に選んだ支持率が40%程度の人物です。これは自民党議員達が当選という自分の利益に誘導した衆愚議員であり、この動きは独裁政治へのステップと同じです。幸いにも、今回は石破政権は衆愚議員だけが残った少数与党なので、独裁化の法案は提案されていませんが、この自民党議員による衆愚政治が危険であることに変わりは有りません。
さて、議会制民主主義をとる国、日本だけでなくどこの国の法律でも、議会が個人あるいは集団に過剰な権利を与える独裁体制を議決すれば、民主主義体制から対極の独裁体制への移行が可能です。移行後は議会で独裁政権を宣言し、独裁から民主主義体制に戻すことが出来ないように、選挙制度を廃止する新法を作ることや、国民の関心を外国に逸らすために戦争を仕掛けることもできます。
そして独裁政権になっても、他国からの批判を逸らすためと体面上は、民主主義の象徴である大統領や議員の選挙を行います。この場合、形だけは選挙制度を維持しておき、被選挙人や投票者を独裁政権が決めることで自由化を防ぎます。中国のように、共産党員だけが投票権を持ち、ロシアは選挙になる前に立候補者が不審死をする、アフリカの独裁国家群は選挙制度だけ作って実施しない、など独裁下では何でもできます。
もし、市民が自由な民主主義政治を望んだ場合は、市民が蜂起して武力革命を起こすしか無いのですが、独裁者は軍隊を支配してこの革命を武力で潰ことは、香港で明らかです。この様に、独裁体制は民主主義政治が陥る危険な罠であり、日本は日本共産党を破防法の対象団体にしているのは、同党が未だに革命と1党独裁を党則から削除していないからです。
話しを替えて、民主国家でも独裁国家でも、国家の経営を円滑に行うには法体系を整えておく必要が有ります。日本の法体系は、まず全ての法律の基本概念となる憲法が有ります。これを具体的な社会生活に反映させたのが、刑事、と民事および商法と2つの訴訟法の5法で、憲法と合せて6法と呼ばれます。この6法が社会と生活の規則であり、法治国家(民主主義では有りません)であることを保証する規則書です。
日本は立憲民主党が、78年前に造られた憲法が平和と民主主義を保証する、と原文のままの維持に熱心ですが、憲法は平和も民主主義も保証しません。独裁政治になれば、憲法の改正や戦争を始めるのも可能であり、大事なことは国体を安定化することであり、日本の場合は「和を持って尊しとなす」と言う思想を守ることです。
民主主義が効果が無いことのもう一つは、戦争に対して無力なことです。戦争になれば、市民や議会が相談をして戦術を決める、などという悠長なことはできません。大統領や総理大臣に戦時の特例法として独裁権を与え、軍事、政治、経済の全てを任せることが勝つための方策です。権力を分散すれば、決断が遅れて敵に後れを取って戦争に負けるからです。また終戦に際しては、戦争は自国内だけの問題では無く相手国がおり、相手国の都合と希望は自国とは逆になるので、終戦の合意は困難です。
従って、戦争が終わるのは、日本がかつて米国に負けた時の様に、片方の力が圧倒的に強い時だけです。ところがウクライナ戦争では、小国ウクライナが大国ロシアに3年近く負けていないのは、ウクライナをEUや米国などが支援しているからです。同じように、中国と北朝鮮がロシアに加勢しているためでもあります。
支援する国々にとって両国への支援は自国に利益を生むからであり、プーチンとゼレンスキー両大統領は、戦争中は自分への権力集中を好ましく思うかもしれません。実際に、両国には市民の意見による民主主義は見当たらず、少なくともプーチンは終戦を望んでいませんから、片方だけが終戦を望んでも戦争が終わりません。
戦争が大嫌いなドナルド・トランプ前大統領は、統治する2016年から2020年までの間世界に戦争を起こさせませんでした。しかしバイデン大統領に代わってから、ウクライナとイスラエルで2つの戦争が起きて、未だに続いています。トランプ新大統領が就任すれば、これ等戦争当事国の弱点である外部からの支援を途切れさせて、戦争を簡単に終わらせるはずです。
次回は、衆愚政治が民主主義政治の諸悪の根源であることを書きます。