食料の自給と人口の地方へ分散と幕藩体制 (新日本2100計画 9)
今回のテーマは、食料の自給体制と自治の権利の拡大による行政の効率化です。
今後の100年は、中国と韓国と北朝鮮と日本は人口が減り、若い東南アジア諸国は人口が減りそうもありません。中国は人口を急激に減らすとは言え、元が13億人と多いので、相変わらず強国です。これらの周辺国の中で、日本は人口が3分の1に減っても現在と同様のGNPを保持することが、自立した国家として西太平洋地域で覇権を維持するために必要です。
かつて、江戸時代の一次産業の農民、漁民の生活は貧しく悲惨でした。それでも、2次産業(製造業)と3次産業(商業)は豊かと言えなくても、江戸の大工職人や大阪の商人の様に、少しだけ生活に余裕が有り幸せでした。
江戸時代の人口データが見つかりませんが、大正九年の第1回国勢調査では、15歳以上の全就業者数の54%の1千5百万人の1次産業従事者が、日本の人口5千6百万人を養っていました。これに対して平成17年(2005年)では、1次産業従事者の3百15万人が日本の約1.3億人の35%、すなわち4千6百万人に対して、質の良い食料を提供しています。
従って、大正時代の5分の1の3百15万人が近代の農業技術を使えばで、2100年の全人口4千万人を余裕を持って養えます。これほど労働効率が良いのは、現在の農漁業者は効果的な情報収取と交換を行い、ランチェスターの2次法則の労働をしており、機械化されているとは言え、大正9年の約5倍の生産力があります。安心して彼らに働いて頂きましょう。
次は二次と三次産業ですが質の改善だけでなく量を増やすことで対処できます。それは、高齢者も働くこと、若者は2年間早く働き始めること、そして全員が連携して働き、効率の良い労働をすることです。上手に働くことで国力を落とさなければ、パイの大きさは変わらないのでGDP/人口は3倍となり、これらの産業の従事者には十分な給料を与えることが出来ます。一人当たりGDPは現在の32位から10位以内に上がるでしょう。
次は、効率の良い政治体制です。江戸時代の265年間、江戸幕府は鎖国政策で外交問題は無く、内政や経済は藩に任せていました。各藩の内政は、産業政策以外は権力闘争でしたが、文化活動は盛んで学問も進みました。1868年に明治維新で中央集権体制となり、政治、外交、産業、金融などに江戸時代の教育制度が効果を発揮して西欧文明を取り込み、日本は短期間で西欧諸国並みの力を持ちました。
西欧の産業技術の取得で、人口は明治維新の4千万人弱から、72年間で7千3百万人に急増しましたが、1941年に日本は内政と外交を失敗して太平洋戦争で英米から袋叩きに合いました。これを経験として、2100年の日本はハリネズミ的に備えはするが出過ぎず侮られず、で中立的にしてゆけば安泰と思っています。
国際関係で食料自給ができるのは重要で、日本はフランスの様に農業国でありながら、産業と外交の自由度が増え、防衛力をそこそこ備えることが可能です。この時に効率の良い新体制として中央と地方は役割を分割し、中央の政府は外交と安全保障を担当し、地方政治は生活に関わることを担当します。参考として、江戸時代の藩政は地域独立性が高く、各藩はその地に合わせた教育と産業と自治政策を執っていました。
新しい日本は急激な変革を期待せず、安定した変革と成長に価値を見出し、たとえばブータンの様な、国民合意の上での「閉じた社会」の実現を目指します。県の産業に合わせた食料生産や産業政策など、県の間の協力や競争、そして通商が国内流通を増やして国力を増します。
地方自治を重視して、生活に関わる教育、福祉、医療、警察、裁判、自治、は県の政治とし、中央政府は外交と安全保障と金融と歴史の護持が役目で、現在の米国の州と連邦政府の関係が参考になります。
ただし、東京と大坂に人口が集中していては、地方が人手不足となります。テレワークが効果が有るのはは第3次産業の一部で、一次と二次産業はやはり分散型の現地在住が必須です。人口の地方分散化は、地方に1次産業を振興し、新規事業を推進して職を創ることで達成します。
明治維新では中央集権にした独裁的な政治で、日清、日露戦争には勝ちましたが、太平洋戦争では外交を失敗しました。これは中央集権が過ぎて情報収集と意見の交換が足りなかったからです。地方を活性化して多様な意見と人材を登用できる、米国の連邦政府制度や、江戸時代の幕藩体制の良さを見習うのが良いと思います。