寿司のアートart
江戸時代の寿司は、握り飯の上に魚の刺身が乗っており、ご飯とおかずを一緒に食べることができました。肉体労働者たちは1日に5合のお米を食べており、昼食を短時間で済ませるには、この大きさの寿司を3つ、4つ食べて食事を済ませることが出来たのは、合理的です。
ところが令和の現在は、こんな大きな寿司は消え去り、美味しく高級な寿司は5cm程の小ささです。戦後の平和な現在、食に対する余裕が寿司を技術的、文化的に洗練して、寿司造りの技術artと味は芸術artと呼べるまでになりました。
現在の寿司は、米は米だけ、魚は魚だけで、味わうものではありません。お米(シャリ)と魚(ネタ)の味と舌ざわりのハーモニーが重要です。そもそも、人間の口の中は食物に対するセンサーが発達しています。食事の時、食べた物が脂肪と蛋白質と炭水化物のバランスが良ければ、口のセンサーはその食物を別々に食べるよりもそのハーモニーを喜ぶでしょう。
だから高級な寿司は、一口で食べられる大きさにまで小さく、ネタはシャリからほんの少しはみ出るほどになりました。下の写真では、ネタが大きいのでネタを半分に切って、寿司を小さくする工夫がしてあります。職人さんは、海老とお米を美味しく食べる工夫をしているのではないかと思います。

この写真は、高名なすきやばし次郎の寿司をお客が撮ってネットにアップしたもののコピーで、次郎から文句が来たら取り下げます。
寿司職人さんはここまで考えながら、寿司を握っているのですが、職人さんが芸術にまで高めた寿司を握ってくれても、お客である私たちにも好き嫌いがあります。勿論、嫌いだったネタが好きになる位の寿司職人さんの技術が素晴らしくて、好みの幅が広がるのは結構なことです。とはいえ、そこまでの神業の寿司屋には私は入るだけの財力は有りませんから、注文に工夫します。
寿司職人さんと私の好みには違いが有りますから、「お任せ」で注文するのは無責任です。もしお任せの方が美味しいものを出してくれると信じる方は、職人さんとの相性が良いのですからそれでも結構です。そこで私は、お値段がまん中くらいで1人前を注文し、自分の好みの握りが有ったならば、それをいくつか追加で注文してお腹を満たし、美味しい寿司を味わえた事を満足すれば良いでしょう。それでもだめなら、諦めて店を出て2度と行かないことです。
それでもその店の味に未練が有れば、その店の馴染みになることです。馴染みになるまで通い詰めて、自分の好みを理解してもらうことです。寿司は芸術品ですから、職人さんの芸術論を理解した上で、自分をこれに合わせながら作品を作ってもらうことにしてください。もう一つ大事なことは、魚には旬の時期が有ることです。旬は魚によって時期と場所が異なるので、これはプロのお寿司屋さんに任せるべきでしょう。
この様に馴染みの関係を創り、職人さんの持つ芸術性との相性を育てるのは、回転すしで出来ることではありません。それなりに値の張る店で、それなりにお金を張りこんで下さい。昔の様にどの町にも寿司屋が有った時は、こんな関係を築くことができましたが、最近はなかなか難しいです。
